トップ > 文化・歴史
ここから本文です。
更新日:2024年8月30日
下松タウンセンター内にあり、コンサートや演劇等の催しが行われる。
1000人収容の大ホールのほか、会議室、音楽練習用のドラムセットやアンプを完備した練習室などがある。
下松に生まれ、幼少期を過ごした。明治・大正の世にあってスキーを民間に普及し、民間航空の礎を築いた。
また、娘を交通事故で亡くしたことから、自ら街頭に立ち交通整理を行い、交通安全を広く訴えたが、これが日本初の交通安全運動であったと言われている。
また、長いひげで有名で、その長さは69cmにもなり、当時世界一だった。
国民宿舎大城内にある「外史公園」には、長岡外史の像が建てられている。
推古天皇のころ松の木に星が降ったという「下松降星伝説」。
その松の木の子孫が「鼎の松」として、金輪神社【地図】に残されている。
現在の松は、2011年2月17日に植えられた5代目。
昭和15年11月25日に日立製作所笠戸工場で製造され、同年12月から山陽本線貨物用機関車として利用された。
昭和47年12月にその役割を遂げた後、現在は笠戸湾を望む場所【地図】に静かに佇んでいる。
明治40年に製造された国産の蒸気機関車。
昭和9年に現在の下松工業高等学校に払い下げられ、原動機実習教材として使用されたと伝えられている。
その後、平成8年に同校同窓会から下松市に寄贈され、現在は下松市役所グリーンプラザ【地図】に収納展示されている。
巌流島の決闘で有名な佐々木小次郎が、宮本武蔵を追って九州に下る途中、笠戸島に立ち寄った。
その時小次郎が笠を松の枝に掛けたという「笠かけの松」があったという言い伝えがある。
その子孫にあたる松が現在も残っている。
※道路工事に伴い、下記の地図の場所(下松市本浦海浜公園)に移転
お問い合わせ