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更新日:2024年11月21日
天王森古墳出土埴輪(大刀形・家形・巫女・盾形・円筒)は、
現在スターピアくだまつ(ハート・フロアー)にて展示中です。
山口県内で発掘された出土品を展示・公開します。期間中に山口県埋蔵文化財センター職員による記念講演会・ギャラリートークも開催します。
【巡回展】※参加無料
●開催期間…令和6年10月26日(土)~11月24日(日)
●場所…ほしらんどくだまつ 「くだまつふるさと広場」
~内容~
速報展示として辻花遺跡(田布施町)から出土した土器等を展示します。また、「まいぶん名品展」では、
山口県埋蔵文化財センターで収蔵されている遺物のうち、普段公開されていないものを選定し特別公開します。
【記念講演会・ギャラリートーク】※参加無料
●開催日時…令和6年11月10日(日) 10時30分~12時(予定)
●場所…ほしらんどくだまつ 2階 交流室5AB
●演題…陸の遺跡と水中の遺跡(講師:山口県埋蔵文化財センター 前次長 河村 吉行 様)
●定員…70名(事前申込制による先着順)※下記URLから申し込んでください。
申し込みフォーム → https://logoform.jp/form/AcMw/730024(外部サイトへリンク)
~内容~
10時30分から講演会を行い、終了後に「くだまつふるさと広場」でギャラリートークを実施します。
下松市内には、国が指定する重要文化財をはじめとした様々な文化財があります。このページでは、下松市に関係する文化財を紹介しています。
※市指定天然記念物「東光寺泉所寺のヤマザクラ」は、令和3年4月30日に指定解除しています。
左一面:三角縁盤龍鏡(さんかくぶちばんりゅうきょう)(市役所1階ロビーに大きく紹介されているものです)
中二面:三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)
右一面:内行花文鏡(ないこうかもんきょう)
指定:昭和30年2月2日
所有者:国(文化庁 ※国立博物館に保管されています)
三角縁盤龍鏡は、直径24.4cm、重量約2kgで鏡背に銘帯があり魏晋間の王氏作と推定されます。
《帯銘文》
王氏作竟四夷服 多賀國家人民息
胡虜殄滅天下復 風雨時節五穀孰
長保二親得天力
左上:閼伽井坊多宝塔(あかいぼうたほうとう)
右上:棟札(むなふだ)
指定:明治40年5月27日 (昭和54年2月3日 棟札追加指定)
所在地:花岡戎町(花岡八幡宮境内)
所有者:閼伽井坊
この塔は藤原鎌足の建立16塔の一つと伝えられていますが、建築様式や装飾蟇股(かえるまた)から室町時代中期から後期にかけての建造と推定されます。また、昭和3年解体修理の際「永禄三庚申年(1560年)」の墨書きされた木片が発見され、建立年代を示す資料とも考えられます。方三間(429cm四角)、二重の塔屋根は柿葺(こけらぶき)、総高1.350cm、周囲に廻縁(まわりぶち)を付し、内部四天柱には天井長押(ながおし)を巡らし鏡天井で、須弥壇(しゅみだん)には本尊金剛界大日如来が安置されています。
この塔は、江戸時代元禄13年(1700年)、享保8年(1723年)延享元年(1744年)、宝暦7年(1757年)、安永6年(1777年)に修理されており、そのときの毛利藩主や執政、郡吏、社務、社司、その他普請奉行、庄屋など工事関係者の名前が書き記されている棟木に打ち付けた板「棟札(むなふだ)」が残っています。
金銅如意輪観音菩薩半跏像(こんどうにょいりんかんのんぼさつはんかぞう)
指定:昭和41年6月10日
所在地:花岡高橋
所有者:日天寺
この像は、白鳳時代(7世紀後半)のものと推定されています。宝髪(ほうけい)をつくり、三面飾の宝冠をいただき垂髪(すいはつ)を両肩に垂れ、上半身裸体にして裳をつけています。
右手を右頬に当て、右足を半跏して足首を左股の下におく。台座はほぼ方形で、掛け布を垂れる裳掛座(もかけざ)の形をとっています。総19.5cm、重量4.5kgの鋳造物です。
公開情報:非公開
星宿図(せいしゅくず)
指定:昭和52年3月29日
所在地:生野屋宮本
所有者:多聞院
木造で高さ48.1cm。再下段の底面に白土下地し、極彩色で図像が描かれています。最下段の底面は宝形に凹められ、吉祥天と四大龍王が描かれています。表下段には三十六禽(鳥獣形)、上段には二十八宿諸神(神像形)を白抜きの小円内に描いています。
第二段には十二天、第三段には十二宮の諸像が描かれていると思われ、第四段には人身鳥頭有翼像三体、有翼像一体を、最上段の上部には兜跋毘沙門天を、下部には帝釈天が描かれていると思われます。
製作年代は明確ではありませんが、図像表現の特徴から鎌倉時代以前と思われます。
切山歌舞伎(きりやまかぶき)
指定:昭和51年3月16日
所在地:久保切山
保持団体:切山歌舞伎保存会
宝暦の初め(1750年頃)、イノサコの長重良(ちょうじゅうろう)というものが京参りの帰途、大坂竹本座の人形浄瑠璃や歌舞伎を見て感銘し、長男三四良に学ばせたのが切山歌舞伎の起源といわれています。
三四良は3年の修行の後、浄瑠璃本を携帯して帰り村の若衆に教え、宝暦7年(1757年)の切山八幡宮秋祭に初めて上演されました。現在は、秋の定期奉納公演の他、子ども歌舞伎の指導など後継者の育成にも精力的に取り組んでいます。
日時:令和6年12月1日(日曜日)13時開演
場所:スターピアくだまつ 大ホール
入場料:無料(要入場整理券)
入場整理券配布場所
下松市役所1階総合案内窓口(なくなり次第終了)
スターピアくだまつ(なくなり次第終了)
破邪の御太刀(はじゃのおんたち)
指定:昭和48年9月22日(指定第1号)
所在地:花岡戎町(花岡八幡宮宝物殿)
所有者:花岡八幡宮
刃渡り345.5cm、中茎120cm、反り28cm、幅13cm、厚さ3cm、重量75kgの太刀。
安政6年(1859年)東肥菊地延寿国村27代末孫三光軒北辰子国綱が、門弟5名、手伝い2名を従えて、砂鉄300貫を鍛え、川を堰きとめ、焼きを入れて作り奉納したものです。
花岡八幡宮文書(はなおかはちまんぐうもんじょ)
指定:昭和48年9月22日(指定第2号)
所在地:花岡戎町(花岡八幡宮宝物殿)
所有者:花岡八幡宮
花岡八幡宮に現存する室町時代末期から安土桃山時代の頃までの古文書60通(9巻)です。
鰐口(わにぐち)
指定:昭和51年6月29日(指定第5号)
所在地:花岡戎町(花岡八幡宮宝物殿)
所有者:花岡八幡宮
面径36.3cm、面厚17.8cmと比較的大形の鋳鉄製で陽刻され、寛永元年(1624年)に寄進されたもので、比較的損傷がなく、県下でも最も古い例に属します。
千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりつぞう)
指定:昭和51年6月29日(指定第6号)
所在地:梁観音堂
所有者:閼伽井坊
製作年代は、作風から平安時代末期の藤原時代と推定されます。
像高101.4cm、垂髻で髪頂に仏面天冠台上に阿弥陀如来立像をつけ、左右に月輪、法輪、日輪等10個の頭上面を配してあります。合掌手を胸前に、宝鉢手を腹前に、脇手を左右に19手あて配している四十二臂型菩薩像です。
扁額(へんがく)
指定:昭和61年9月30日(指定第7号)
所在地:花岡戎町(花岡八幡宮宝物殿)
所有者:花岡八幡宮
長享3年(1489年)に奉納されてもので、額は3つあり、各々中央に大きく「八幡宮」の文字を中高に彫出し、第一殿は金泥彩、第二殿、第三殿は白土彩を施してあります。縁面には朱の丸珠20個を上下左右対称に5個あて配列し、額面の外側に波型の額縁が付けられ、総体は、黒色塗にされています。
神馬(しんめ)
指定:昭和61年9月30日(指定第8号)
所在地:花岡戎町(花岡八幡宮境内)
所有者:花岡八幡宮
銅造の牡馬で体長217cm、耳高162.3cm、頭高154.4cm、胴中央高129cm胸幅45.9cm。藤井甚兵衛佳徳、上原惣左衛門延清両氏が三田尻の冶工郡司杢之烝に造らせ、花岡八幡宮神馬として文化3年(1806年)に奉納されました。
絹本淡彩妙見社参詣図(けんぽんたんさいみょうけんしゃさんけいず)
指定:昭和61年9月30日(指定第9号)
所在地:西豊井(妙見宮鷲頭寺)
所有者:鷲頭寺
文化5年(1808年)、法眼信喬の作で当時の鷲頭寺、妙見社の上宮中宮および若宮、鷲頭寺の境内の様子と参詣人を描いたものです。
公開情報:非公開
妙見宮鷲頭寺の棟札(みょうけんぐうじゅとうじのむなふだ)
指定:平成21年9月24日(指定第12号)
所在地:西豊井(妙見宮鷲頭寺)
所有者:鷲頭寺
棟札の年代は永禄4年(1561年)・永禄12年(1569年)・享保2年(1717年)で、永禄期の棟札は星ふるまちくだまつにおける北辰妙見信仰に関する最古の遺存史料です。
公開情報:非公開
絵馬(えま)
指定:昭和48年9月22日(指定第3号)
所在地:花岡戎町(花岡八幡宮宝物殿)
所有者:花岡八幡宮
寛政9年(1797年)徳山毛利藩の絵師、南陵朝倉光世の作。縦183cm、横384cmで当時の御神幸の模様が詳しく描かれており、宿場町、町並、奉納行事、演芸、風俗等の有様や、氏神信仰に対する考え方を知る重要な史料です。
宮原古墳(みやばらこふん)
指定:昭和48年9月22日(指定第4号)
所在地:和田宮原
所有者:個人所有
巨石で築造された羨道、玄室をもつ古墳時代後期の方袖横穴式石室墳で、大正年間、旧制山口高校によって調査され、石棺、馬具類、須恵器の遺物が出土しました。
旧内藤家庭園(きゅうないとうけていえん)
指定:平成28年10月3日(指定第13号)
所在地:米川瀬戸
所有者:個人所有
内藤家は古くから大内氏に仕えていた武家の一族と伝え、毛利氏の中国統一の際に帰農したとされています。その後、昭和初期に至るまでこの地に居住し、庄屋役を務めていました。現在では、石垣石段などの屋敷跡と庭園のみが往時の面影を残しています。庭園は、内藤家の伝承によると「雪舟の弟子による作庭で、池泉は“心地池”と称した」とあります。江戸時代前期の作庭といわれ、現在は涸れていますが池泉観賞式庭園です。全体的に地割はゆったりとして、奥行きのある庭園構成といえます。
天王森古墳(てんのうもりこふん)
指定:平成29年12月19日(指定第15号)
所在地:桜町3丁目(天王台)
所有者:下松市
全長45mの前方後円墳で、6世紀前半の築造と推定されています。下松市の原始・古代を今に伝える学術的価値が高い史跡です。
令和2年12月、古墳周辺から多くの形象埴輪(器財、人物、家形など)が出土し、注目を集めています。
降松神社若宮ヤマザクラ
指定:平成19年5月1日(指定第10号)
所在地:河内
所有者:降松神社
幹周:約2.7m 高さ:約10m
降松神社若宮の階段そばにあり、樹勢は旺盛で可憐な花を咲かせます。
花岡御茶屋ノ槙柏(はなおかおちゃやのしんぱく)
指定:平成28年10月3日(指定第14号)
所在地:末武上(花岡小学校付近)
所有者:下松市
幹周:約3.2m 高さ:約12m
「槙柏」とは、ヒノキ科の常緑針葉高木の「ビャクシン」であり、江戸時代に都農郡宰判の勘場及び御茶屋があった場所にそびえています。樹齢480年を超える巨木で、市指定文化財「絵馬」にも描かれています。
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