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更新日:2023年1月31日
下松市という地名の由来は、推古天皇の頃、鷲頭庄青柳浦の松の木に大星(北辰星ともいわれている)が降り、7日7夜光輝き「百済の皇子がこの地へやって来る」というお告げがあったことに始まり、それから3年後、百済からやってきた皇子が後の大内氏の祖とされる琳聖太子といわれています。
このことから「星が降った松」が「降り松」、「下松」となったといわれています。
また、一説によれば、百済の琳聖太子が渡来し、以来百済との交易が開けたことにより、百済と貿易する港、百済津(くだらつ)がなまって「くだまつ」となり、「下松」と書きあらわすようになったともいわれています。
これらの言い伝えを引き継ぎ、暮らしの中に「星ふるまち下松」として息づいています。
昭和14年11月3日、都濃郡下松町を中心に花岡村、久保村、末武南村を合併して市制を施行し、その後、昭和29年11月1日に都濃郡米川村を、昭和37年4月1日に都濃郡都濃町滝ノ口部落を編入合併して現在に至っています。
(市章)
下松の「下」の字と笠戸湾の静かな波を松葉で表現しています。
また、円で和を表現しています。
下松市は、山口県の南東に位置し、瀬戸内海に面しています。県庁所在地の山口市から東南東へ約40kmの位置にあり、東は光市と周南市、北と西は周南市に境を接しています。
面積=89.34平方キロメートル(令和4年4月1日)
東西12.7km、南北20.6km(笠戸島の周囲=36km)
方位 |
地名 |
経緯度 |
市役所の位置 |
---|---|---|---|
東端 |
添谷 |
東経131°56′ |
東経131°52′ |
西端 |
古島 |
東経131°48′ |
北緯34°00′ |
南端 |
火振岬 |
北緯33°55′ |
|
北端 |
清若 |
北緯34°06′ |
|
下松市民憲章は、下松市をより住みよいまちにするため、昭和44年に制定されました。
市制施行80周年を記念して市勢要覧「くだまつ百花」を発行しました。
(13ページ左下の「中国電力(株)下松発電所」は令和5年1月末に廃止)
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